10月22日・主日のミサにおける説教から要旨


皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい

中川博道神父(カルメル会)

年間29主日の福音で、イエスを罠にかけようと「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか?」と質問したファリサイ派の人々に、イエスは、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えます。

この言葉は、聖書の中で、なじみ深い言葉ですが、聖書学者たちの中では、解釈が様々に分かれる箇所と言われています。

自分の命も所有物も一時的にお預かりしているもの

しかし、落ち着いて考えてみると、一時的に預かって人間が所有しているものであっても、根本から考えてみると、「神からのもの」でないものなどあるでしょうか?

自分のいのちも、所有物も、すべてはいただいたもので、いつか必ずお返しする一時的にお預かりしているものにすぎません。

2015年に地球家族の行く末をおもんばかって、フランシスコ教皇様は回勅『ラウダート・シ』を発布なさいました。これは全世界の善意の人々に向かって、「ともに暮らす家(地球)を大切に」して、「後に続く人々、今成長しつつある子供たちのために、どのような世界を残そうと望んでいるのか」(ラウダート・シ160)を見つめ直しましょうと問いかけるものです。

回勅のタイトル『ラウダート・シ』は、聖フランシスコ(13世紀)の「太陽の賛歌」からとった言葉で、「主をほめたたえよ」に由来します。聖フランシスコは、太陽を兄弟、月を姉妹、そして大地を母と呼びかけます。フランシスコの生き方は、鳥や草花や動物たちを愛し、すべての人々や自然界を兄弟姉妹として愛する単なるロマンチックな抒情詩ではありません。現代科学の認識で言うと、約137億年前にビックバンから始まった宇宙の現実は、存在するあらゆるものは、一点から始まって広がりながら現在に至っているということです。あらゆるものは、もともと、神さまの中でひとつだったということでしょう。

フランシスコ教皇の回勅「ラウダート・シ」
存在するすべてのものは父である神から来た

地球の歴史も、約46億年前、火の玉のような状態から月が分かれ、やがて生命が誕生し進化しながらそれぞれの生物になってきました。現代の遺伝子学では、人間とバナナも遺伝子的には50%くらい一緒と言います。チンパンジーとも99%一緒だと。さらにホモサピエンスといいわれる私たち現生人類は、様々な人種的な違いがあっても、0.1%未満の違いであると言います。さらに生物学の方面からは、ミトコンドリアイヴという、あらゆる人は一人の母親から生まれてきたとも言われています。こうした科学の現実を踏まえる時、聖フランシスコの「太陽の賛歌」は、最先端の科学的事実として、存在するすべてのものは皆、父である神から来た、神のものということが出来るのだと思います。全ての存在は神において兄弟姉妹なのです。

神さまからいただいた共に暮らす家が危機に瀕している

  

そして、今、父である神において地球家族として、神様からいただいた共に暮らす家が、危機に瀕している中、みんなでこれを大切にして生きていく事が、緊急の課題として問われています。

「皇帝の肖像」に似せてではなく、「神の似姿」として造られた人間の本来の生きる道は、神が「父と子と聖霊のお互いを大切にし合う家族(三位一体の神)」であるように、世界中のすべての人が兄弟姉妹としてお互いに大切にし合って生き、対話を重ねながら兄弟姉妹であることに気づいていく時に、本来のわたしたちの姿になっていく道があるのです。そのために、天の父は、私たちに独り子を「兄弟」としてお与えくださって、イエスに習って、共に歩むようにと招いていてくださるのです。

 ご聖体になった主イエスは、人になっただけでなく、食べられるものにまでなって、地球上のあらゆるものとの兄弟性を生きようとしておられるのです。

中川神父
中川神父

(「でめきん」秋冬号:2018年1月1日発行より抜粋)



























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